2021/09/17 14:22



飼い犬が亡くなりました。 

今までわんこは、何匹って飼ってきたのですが


今回特に、信じられない位に穏やかで優しいこだったのと、辛い時には心からの癒しをもらっていたので

喪失感は想像以上のものでした。




昨日の夜、かなり状態がキツそうだったので


「もういつでも好きなタイミングで逝っても大丈夫だよ。」そう伝えて病院を後にしたのですが


今日面会に行き、声をかけ、撫でてあげてすぐの事でした。




こういうことを書くと語弊はあると思うのですが

そのこの視点で、楽しかった映像が昨日あたりから不意に入ってきて、、、


私が思い当たる事だったり、予想外のことだったり。その度に胸がいっぱいになって涙が次から次から出てきていました。



動物ってきっと思いがストレートなんだと思います。

だからあんな風に視えた、拾えたのかなぁと…

思っていました。



そしてこうして書く事で、「ちゃんと伝わってきていたよ。ありがとう。」と、そのこに送るつもりで今書いています。





つい何日か前の夢の中で、大きな白い犬(護り神)に向かって「新しい場所に行くのに、あんたはこの先連れてく訳にはいかないのだよ。」


と、そう別れを告げた事もあって


きっと、あの護り神は、今回の子の体の中に入っていてくれていたんだろうなぁと…


そう思わずにはいられませんでした。





そして、十何年も前の話になりますが、


当時私はひどい鬱状態でして、自分の辛さから日常生活もままならなくなり、当時飼っていた子に、辛くあたっていた事がありました…



そのこは最終的には、近くに住む義父母の元に住まいを移し、とても可愛がられながら最後を迎えたのですが、


亡くなって2.3年ほどたった頃、車を運転中に突然その子の顔と、


「わたしはあなたを護るためにあなたのところに行ったのだよ。だから悪いことをしたなんて思わなくて良いのだよ。あなたの苦しさ悲しさが、あなたの小さな子ども達に行かないよう、私が注意を背けていたのだよ。私は役目を全う出来て、とても満足だよ。」


そうハッキリ思念が入ってきたものですから…


一人車を運転しながら、わんわん泣いた事がありました。




思念って単独で動く事はもちろんできるでしょうけれど、


それが体をつかって動くことって

なんて素晴らしいことで、生きる事自体が愛なのだなぁと…


今回肌で教わることになりましたよ…





今回は幸せなことに、臨終の場にも立ち合わせてもらい、そこに向かうまでも、自分の精一杯を出し切れた事に、ただただ感謝の気持ちが溢れています。



安らかに眠ってくださいね。

うちを選んで来てくれて本当にありがとう。